誰かの歌を褒める時、よく「歌が上手い」と言います。しかし、これには様々な側面があるのではないでしょうか。カラオケ的に言えば「音程がいい」「ビブラートをかけられる」ぐらいでしょうが、他にも実にいろいろある、という話をしてみたいと思います。
歌がうまい、の中身にはいろいろあるのでは?
パッと思いつくだけでも以下の要素があります。
- 持って生まれた声質が良い
- 持って生まれた声の鳴らし方がうまい
- 実は声質が良くても、その鳴らし方を知らないために損をしている場合がある
- 音程が正確、フェイクができるなど、技術がある
- 歌が「よい音楽」に聞こえる
- 歌が音楽的にすぐれていること。これは歌詞の内容とは関係しない
- 歌詞の内容と融合し、聞き手の心を動かす
- 歌によって歌い方を変える。その選択を適切にできる。あるいは自然に融合している
どれが真の「歌がうまい」か、とか、誰が一番歌がうまいか、ということを考えようというのではないのですが、言いたいのは、歌にはこれだけの味わい方があるし、その意味で、巷に溢れている楽曲も、もっと広く深く味わうことができるのではないか、ということです。特に、母語の楽曲の場合、歌詞の内容はあまり意識しないでも自然と入ってくることが多いため、歌詞と歌の結びつきを味わうことで歌を聞く楽しみは遥かに広がるのではないかと思います。

もっと言えば、別に歌がうまい必要はないのです。自分は、(歌詞のある)歌は語りだと思っているところがあり、その歌が語りとして(というのは、トーキングではなく、あくまで歌ったものに対してですが)素晴らしければ、他の意味で歌がうまい必要はまったくないとすら思っています。
演技の例を考えてみればわかりやすいと思います。あらゆるシーンのあらゆるキャラクターのあらゆるセリフを、朗々と正しい発声で喋るのは変でしょう。セリフにより、声をひそめたり、枯れさせたり、奇妙奇天烈になってみたり。そういう演技の幅に比べて、「うまい歌」の表現の幅は狭すぎなのではないだろうかと思います。
もちろん、歌は歌であって演技や語りではないので、演技や語りでなく歌であるためのルール、節度や制約があるはずです。その狭間の領域に、豊かな歌の楽しみの世界が広がっているのではないかと思います。
歌の味わい方にはもっと可能性があるはず
だから、歌一流の歌手とされる人以外の歌にも、楽しみが隠されていることがあります。なんでもない人のカラオケであっても、繰り返し聞いているうちにうまみが出てくることもあるでしょう。20回ぐらいしか再生されていないyoutube動画のおぼつかない弾き語りに、他の音楽は得られない妙味があることもきっとあると思っています。

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